ここでは、僕がブラック企業で12年働き、休職を経て退職するまでの実体験をまとめています。
本当にしんどかった時期の話なので、正直思い出すのもつらい部分があります。
でも、今苦しんでいるあなたの力になれるなら、それだけで書く意味があると思っています。
少しでも共感や気づきがあればうれしいです。
- 僕が限界に追い込まれた理由
- 休職・復職・退職までのリアルな流れ
- ブラック企業から抜け出す勇気のつくり方
地獄の始まり|僕が限界に追い込まれていった12年間
まずは、なぜ僕がそこまで追い込まれたのかを振り返ります。
長年積み重なったストレスは、一気にではなく少しずつ心を削っていきました。
社長の怒鳴り声と“空気が凍る”職場
僕の職場は家族経営で、社長はとにかく怖い人でした。
少し気に入らないことがあると頭ごなしに怒鳴り、事務所全体が凍りつくような雰囲気でした。
誰も逆らえず、みんな目を合わせないように仕事をし、社長の機嫌をうかがって過ごす毎日でした。
今思えば、これだけで十分ブラックでしたが、当時の僕は「慣れるしかない」と自分を押し殺していました。
課長として板挟みの毎日が続く
年数を重ねるうちに、僕は課長になりました。
でも、その立場が楽にしてくれるどころか、上からも下からもプレッシャーがかかる地獄のような状況になりました。
現場はどんどん疲弊していくのに、社長は現実を理解せず、理不尽な言葉ばかりが飛んできました。
「現場の声を伝えると怒鳴られる」 「社員を守らないといけない」
その板挟みに心が削られていきました。
眠れない日が続き、心と体が壊れ始める
限界が近づくと、一番最初に異変が出たのは睡眠でした。
眠れない、寝ても1〜2時間で目が覚める、朝が来るのが怖い。
体もきつくなり、気力もなくなり、会社に向かうだけで胃が痛くなりました。
「自分はだめだ」と責め続け、抜け出せない悪循環に落ちていました。
もし、上司からの圧で辞めたくても言い出せない状況なら、あなたが悪いわけではありません。
僕もあの頃、声が震えて何も言えませんでした。
そんなときに救ってくれるのが“退職代行”という選択肢です。
休職へ|「もう無理」と気づいた瞬間のこと
ある日、体が動かなくなり、ついに会社に行けなくなりました。
病院では適応障害と診断され、1か月の休職に入りました。
休職は“逃げ”ではなく、本当に必要な時間でした。
休職中にやっと自分の心を取り戻し始めた
休職に入ると、まず睡眠が少しずつ戻ってきました。
朝の恐怖が弱まり、生活のリズムがゆっくり整っていきました。
すると「こんな働き方はおかしかったんだ」と冷静に感じられるようになりました。
環境が異常だっただけで、自分が弱かったわけじゃない。 その気づきは大きな一歩でした。
復職して感じた“あ、この会社もう無理だ”という確信
1ヶ月後、復職しました。
でも、職場の空気は変わっておらず、社長の態度もそのままでした。
周りは気を使っているようで、どこかよそよそしい。
僕の居場所はもうありませんでした。
復職した瞬間に「辞めるしかない」と心が決まったのを覚えています。
退職へ|静かに終わらせたラスト7ヶ月
復職してからの7ヶ月間は、淡々と退職に向けた準備をしました。
怒鳴り声に耐えるのではなく、心を守るために距離を取りながら仕事を続けました。
辞めるときは意外とあっさり通った
課長という立場だったので「辞めさせてもらえないかも」という不安がありました。
でも、実際に伝えてみると驚くほどあっさり通りました。
これは、僕が休職したことで会社側が無理を言えなくなっていたのも大きいと思います。
どんな会社でも、退職は“通知”なので本来は拒否できません。
最後の7ヶ月は「回復期間」だった
退職日が決まると、心が軽くなるのを感じました。
仕事も最低限に抑え、できるだけ休みながら過ごしました。
怒鳴られても、理不尽に当たられても「もうすぐ終わる」と思うだけで、前より傷つかなくなりました。
その期間は、心と体を取り戻すための大切な時間になりました。
まとめ|あなたも必ず抜け出せる
僕が抜け出せたのは、特別強かったからではありません。
限界が来て、休職して、復職して、そして静かに辞めただけです。
あなたも同じように抜け出せます。
無理をしなくていいので、一歩ずつ進んでいきましょうね。
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